東京地方裁判所 昭和39年(ワ)2426号 判決 1965年9月21日
鎌倉市扇ヶ谷一八〇番地
原告 宗教法人寿福寺
右代表者代表役人 内田智光
右訴訟代理人弁護士 和久田只隆
同所一八四番地
被告 小林了
右訴訟代理人弁護士 磯崎良誉
鎌田俊正
右当事者間の昭和三九年(ワ)第二四二六号建物収去土地明渡し等請求事件につき当裁判所は次のとおり判決する。
主文
被告は原告に対し別紙第二目録記載の建物を収去して同第一目録記載の土地を明渡せ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、主文同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因並びに被告の抗弁に対する答弁及び抗弁として次のとおり述べた。
一、別紙第一目録記載の土地(以下、本件土地という)は原告の所有であるところ、被告は原告に対抗し得べき権原がないのに右土地上の別紙第二目録記載の建物を所有し同土地を占有しているので、原告は被告に対し、右建物を収去して右土地を明渡すべきことを求めるため本訴に及ぶ。
二、(一) 被告主張の二の(一)の地上権の抗弁中原告と亡土岐との間に大正七年九月末日本件土地中の(1)乃至(3)及び(6)の土地につき建物所有を目的とする存続期間五〇年の地上権設定契約が締結されたこと及び昭和一〇年一〇月二七日土岐が死亡して土岐雄志郎が家督相続をしたことは認めるが、その余は土地使用目的が堅固な建物の所有にあることの理由として掲げる事実の点を除いて否認する。被告主張の地上権設定契約は使用目的を普通建物の所有とするものである。また、昭和九年一一月九日原告と亡土岐との間に締結された契約(第一契約)は、(1)乃至(3)及び(6)の土地の地上権設定契約を使用目的及び存続期間その他の条件を同じくする賃貸借に変更する旨のいわゆる変更契約である。従って、以後右土地の賃借関係は賃貸借に変更された。なお、被告が本件地上権の設定がいわゆる堅固な建物の所有を目的とするものであることの根拠として掲げる事実自体の存在は争わないけれども、原告が土岐のために(1)乃至(3)及び(6)の土地に存続期間五〇年の地上権を設定し五〇年分の地代の前払いを受けたのは、当時原告の財政が苦しかったために地代の前払い分相当の金員を得たかったのと、土岐が明治三九年一〇月以来原告から本件土地を賃借し、木造家屋を建築して居住していたが、由緒ある原告寺院の風致を害するような建造物や庭園を築造する人柄でないことが明らかであったことによるのであって、被告主張の如く地上権者に鉄筋コンクリート造家屋のような堅固な建物の所有を認める趣旨ではない。されば関東大震災直後、罹災した土岐から地震による倒壊を避けるためにコンクリート造の堅固な家屋の築造の承諾を求められたが原告側で応じなかった事例もある。
(二) 被告主張の二の(二)の事実は認める。しかし、第二契約においては貸借条件として堅固な建物の建築は勿論、建物の新築そのものについても原告の承諾を要するものと明示しているが、それは、本件土地が原告寺院の境内続きで寺院の風致に重大な関係があるので風致を害するような建造物の築造を防止するにある。
(三) 被告主張の二の(三)の事実は認める。
三、(一) 被告は昭和三八年九月末頃、本件土地中の(2)乃至(4)の土地上に別紙第二目録(イ)記載の豪壮な鉄筋コンクリート造の堅固な家屋(以下、本件鉄筋コンクリート造家屋という)の建築に着工し、昭和三九年春頃竣工したが、右建築は設定契約で定められた本件土地の使用目的に違反する。実質的にも、本件土地が鎌倉五山中建長寺円覚寺に次ぐ三位の名刹として由趣ある原告寺院(木造の日本建築)の境内続きの静寂な風致地区内にあって、附近の英勝寺その他の建造物も皆木造の日本建築であるのに、附近の風趣と全く調和しない洋風の豪荘な本件鉄筋コンクリート造家屋が築造されたことによって原告寺院や附近の風致が著しく害されている。ところで、右家屋建築の着工後間もなくの昭和三八年一〇月二五日原告寺の住職内田智光は被告の妻訴外小林近子を通じて被告に対し、同工事の中止方を申し入れ、さらに、同月二八日付翌二九日到達の内容証明郵便による書面をもって同書面到達後一〇日間内に施工済の部分を全部破毀し、且つ、大型コンクリートパイルを引抜いて原状に復すべく、不履行のときはこれを条件に本件土地の貸借契約を解除する旨の催告並びに条件付契約解除の意思表示をした。右停止条件付契約解除の意思表示は、第一契約の趣旨が被告主張の如き地上権の確認に過ぎないものとすれば地上権設定契約解除の趣旨を含む。尤も、原告は前記契約解除の意思表示を記載した書面中に(1)の土地の表示を遺脱したのでその部分について契約解除の意思表示がなされていないものとすれば昭和三九年四月六日送達の本件訴状をもってその部分の契約解除の意思表示をする。
ところが被告は原告を無視して工事を進め前記のように遂に竣工したのである。
従って、本件土地の貸借契約は解除された。
四、仮りに、(1)乃至(3)及び(6)の土地の地上権設定契約が堅固な建物の所有を目的とするものであるとしても、第二契約においてはそのような建物の建築は原告の承諾がなければなし得ない旨の定めであるのに被告は原告の承諾なしに本件鉄筋コンクリート造家屋を(4)の土地に跨って築造したものであるから、原告は予備的に本件訴状をもって契約解除の意思表示をする。
五、被告主張の五の、原告が被告に対して、本件鉄筋コンクリート造家屋の築造を承諾したとの事実は否認する。
証拠≪省略≫
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁、抗弁及び原告の抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。
一、本訴請求の原因たる事実は被告の本件土地の占有が原告に対抗できないものであるとの点を除いて認める。
尤も、別紙第二目録記載の建物が(4)の土地上に在るとの点は否認する。
二、(一) 原告は大正七年九月末日亡土岐との間に、同人のため本件土地中別紙第一目録記載の(1)乃至(3)及び(6)の土地(以下、単に(1)乃至(3)及び(6)の土地と略称する)につき使用目的堅固の建物の所有。存続期間五〇年の地上権を設定する旨の契約を締結した。右地上権設定契約における土地の使用目的が堅固の建物の所有にあることは、地上権設定契約書(甲第一号証)に、建物の種類を普通建物に限定する意味の文言がなく(後記第二契約においては明文をもって地上建物の種類を普通建物に限定している)、かつ、存続期間五〇年という例の少ない長期の定めであり、しかも、その地代は全額前払であること及び土岐は本件土地を宅地に適するように改良し、用水のために裏山に横井を掘って自宅まで鉄管を布設したこと等の事実に徴しても明らかである。なお、昭和九年一一月九日原告は土岐との間の契約(以下第一契約という)をもって右地上権の存在を確認した。昭和一〇年一〇月二七日土岐が死亡しその子訴外土岐雄志郎が家督相続により地上権を承継した。仮りに、第一契約が原告主張の如き変更契約であるとすれば以後土岐は(1)乃至(3)及び(6)の土地の賃借権を有するに至り、土岐雄志郎が相続によりこれを承継したことになる。
(二) 原告は昭和一二年四月一九日土岐雄志郎との間に本件土地中別紙第一目録記載の(4)、(5)及び(7)の土地(以下、単に、(4)、(5)及び(7)の土地と略称する)を建物所有の目的をもって同人に賃貸する旨の契約(以下、第二契約という)を締結した。
(三) そして、(1)乃至(3)及び(6)の土地上には土岐が別紙第一目録記載の(イ)、(ロ)の建物を建築所有していたが同人の死亡により土岐雄志郎が右建物の所有権を取得した。
その後、土岐雄志郎は昭和二〇年一月一九日建物の保存登記を経由した上訴外神奈川地方木材株式会社に、同会社は昭和二一年五月一六日訴外小此木歌治に、同人は昭和二八年一一月二四日被告に、順次右建物所有権並びに本件土地の地上権及び賃借権を売渡し建物については所有権移転登記を経由した。なお、第一次契約が地上権を賃借権に変更する契約であるとすれば右地上権の譲渡というのは賃借権ゑ譲渡の意味であり、賃借権の譲渡については原告の承諾を得ているものである。かようにして被告は本件土地につき建物所有を目的とする地上権乃至賃借権を有するに至った。
三、原告主張の三の(一)の事実は本件鉄筋コンクリート造家屋の築造によって原告寺院や附近の風致が著しく害されたとの点及び第一、第二契約が解除されたとの点を除いてこれを認める。同(二)の事実中本件鉄筋コンクリート造家屋の竣工の点及び契約解除の意思表示の点は認めるがその余は不知。
四、原告主張の四の事実は契約が解除されたとの点を除いて認める。
五、本件土地中の(1)乃至(3)及び(6)の土地の地上権設定契約で定めた土地の使用目的が堅固な建物の所有でないとしても、原告は本件鉄筋コンクリート造家屋の建築につき昭和三八年八月二五日原告寺代表役員内田智光の承諾をえたものである。
証拠≪省略≫
理由
一、本件土地が原告の所有である事実及び被告が別紙第二目録記載の建物を所有して本件土地を占有している事実は当事者間に争いがない。
二、よって、被告主張の本件土地占有の正権原に関する事実について判断する。原告と亡土岐との間に大正七年九月末日(1)乃至(3)及び(6)の土地につき、使用目的建物の所有、存続期間五〇年の地上権設定契約が締結された事実は当事者間に争いがない。その設定契約で定めた地上建物の種類について、被告は堅固な建物であると主張し、原告はこれを争っているので考えるにこの点の被告の主張を認めしめる直接の証拠はない。また、被告がその徴憑として掲げる事実の存在は原告の認めるところであるが同事実は左記認定の事実と比照するときは被告主張事実を推認させる事由とはなし難いものがある。却って、≪証拠省略≫を綜合し、弁論の全趣旨をも斟酌すると、本件土地は原告寺院の境内の東北にあってこれに接続し、その北方は名刹英勝寺の境内に続き、附近一帯は丘陵を背にする静寂な場所で、明治、大正時代には古刹の所在地に相応しい森閑とした広大な地であったであろうことが窺われ、また、原告は鎌倉時代初期の開基にかかる鎌倉五山の一たる臨済宗の名刹であること、原告が土岐のために(1)乃至(3)及び(6)の土地に地上権を設定したのは、これより先の明治三九年一〇月同土地を同人に建物所有の目的で賃貸したところ、同人はこれを屋敷(後記のように(4)、(5)及び(7)の土地と混然一体)としてその地上に木造家屋を築造してこれに居住するに至ったが、良く原告寺院の風致に留意し、家屋、庭園等の、結構もこれと違和感を生ずることがないように工夫したことや、地上権設定当時の地上の建物が木造の日本家屋であったこと等が重要な原因になっていたこと等の諸事実及びその後の大正一二年の関東大震災後間もない頃、本件土地上の母屋の建替に際し土岐から鉄筋コンクリート造家屋の築造につき承諾を求められたけれども原告が応じなかったこと等の事実が認められる(地主が建物所有を目的とする借地権を設定するにつきその建物を堅固の建物とするか非堅固の建物とするかは、一般的にいって存続期間の長短との関連において定めるを通常とするけれども、本件のような、寺院の境内続きの土地の場合には、堅固の建物が洋風建築を一般とする我国においてはその風致との関係も重視するであろうことが経験上推測できる。)が、それらの事実から、特段の事情がない限り当時の原告等の住職、法類総代、檀徒総代等が本件土地上に原告寺院の風致と調和しない虞のある石造、煉瓦造、鉄筋コンクリート造等のいわゆる堅固な建物を目的とする地上権を設定することにたやすく賛同するような状況になかった事実が推認される。以上の認定を覆えして被告の主張と裏づけるような証拠はない。そして、成立に争いのない甲第三号証と原告代表者本人尋問の結果を綜合すると、昭和九年、一一月九日原告と土岐とは、前記地上権の対象たる(1)乃至(3)及び(6)の土地につき貸借関係の有ることを確認した上これを賃貸借に変更し、その期間をさらに二〇年間延長する変更契約(第一契約)を締結した事実が認められる。従って、それまでの被告の地上権は以後賃借権に変更された。そして、昭和一〇年一〇月二七日土岐が死亡してその子土岐雄志郎が家督相続した事実は当事者間に争いがないので同日土岐雄志郎は(1)乃至(3)及び(6)の土地の賃借人の地位を承継したものというべきである。
その後の昭和一二年四月一九日原告が土岐雄志郎との間に(4)(5)及び(7)の土地を建物所有の目的で同人にに賃貸する旨の第二契約を締結した事実は当事者間に争いがないところ、右第二契約を締結した事情は、≪証拠省略≫を綜合すると、同土地の一部には以前官有地たる道路が含まれていたが、土岐が明治三九年一〇月(1)乃至(3)及び(6)の土地を原告から賃借してこれを屋敷にした頃から同土地と(4)(5)及び(7)の土地とは混然一体となり同人は屋敷としてこれを使用してきた。大正七年九月末日、(1)乃至(3)及び(6)の土地に地上権が設定された後も使用状況には変化がなかった。その後、原告は官有地の払下げを受け、所轄庁の許可を得て土岐雄志郎と第二契約を締結したものである。なお、これより先土岐は本件土地上に別紙第一目録記載の(イ)、(ロ)の木造家屋を築造所有していた。
これを要するに、本件土地の賃貸借はいずれも建物の所有を目的とするものであるが、(1)乃至(3)及び(6)の土地については、当初の地上権設定契約において建物の種類を明定せず、しかも当事者双方もコンクリート造その他いわゆる堅固の建物を築造することは予想していなかったところであり、第一契約に際しても同様であった。従って、鎌倉市に借地法が適用された後においては堅固の建物以外の建物の所有を目的とするものとみなされるものであり、(4)、(5)及び(7)の土地の賃貸借が堅固の建物以外の建物の所有を目的としたものであることは争いのない事実である。
そして、被告主張の頃、土岐雄志郎が地上の別紙第一目録記載の(イ)、(ロ)の建物の所有権及び本件土地の賃借権を訴外神奈川県地方木材株式会社に、次いで同会社がこれを訴外小此木歌治に、更に同人がこれを被告に順次売渡した事実は当事者間に争いがない。従って、被告は本件土地につき普通建物の所有を目的とする賃借権を有するものというべきである。
三、次に本件土地の賃貸借が解除されたとの原告の主張について判断する。
被告が昭和三八年九月末頃本件土地上に(その位置の点は暫く措く)本件鉄筋コンクリート造家屋の建築工事に着手し昭和三九年の春頃竣工した事実は当事者間に争いがない。なお、成立に争いのない甲第四号証の一乃至四、第一七号証及び検証の結果を綜合すると本件鉄筋コンクリート造家屋の床敷は(2)乃至(4)の土地上にある事実が認められる。
本件鉄筋コンクリート造家屋の築造は設定契約で定めた使用目的に反するものというべきところ、この点について被告は昭和三八年八月二五日原告寺代表役員内田智光から、そのような家屋の築造について承諾を与えられたと主張し、≪証拠省略≫中には被告の主張にその部分があるが、それらは≪証拠省略≫並びに前示認定の第一、第二契約締結当時の事情等に対比してにわかに信用できず、他に原告の承諾の事実を認めるに足りる証拠がない。
そして、原告が被告に対し、右家屋の建築工事に着手した後の昭和三八年一〇月二八日附翌二九日到達の内容証明郵便による書面をもって同書面到達後一〇日間内に施工済の部分を全部破毀し、且つ、大型コンクリートパイルを引抜いて原状に復すべく、不履行のときはこれを条件に本件土地の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたけれども被告がこれに応せずに工事を進めて遂に竣工した事実は当事者間に争いがない。してみれば本件土地の賃貸借契約は解除されたものといわなければならない。
四、以上の次第で、被告の本件土地の占有は以後不法なものとなったので、被告は原告に対し別紙第二目録記載の建物を収去して本件土地を明渡す義務がある。よって、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
なお、この判決に仮執行の宣言を附するのは相当でないからその申立を却下する。
(裁判官 石田実)